ニュースレター

2013年3月12日

「ニュー プラネット」第39号 精神的・魂的な栄養とは


3月に入りました。2011年3月11日の東日本大震災から2年が経過しました。
お亡くなりになった方々、ご家族、お知り合いの方々、には心よりお祈り申し上げます。
生きている私たちは、それぞれがそれぞれの持ち場で引き続きベストをつくしましょう。

この時期は、気温の変化も大きく、体調の小さな変化を感じられる方が多くなる季節です。東洋医学でも春のこの時期は身体にエネルギーを巡らせる要の肝(カン)の影響が感じやすい時期であるといわれており、解毒や排泄を意識し、新しいエネルギーを芽吹かせる時期だと考えられています。

これまで長い間私たち人間生命体のエネルギーは食べ物からとりこむいわゆる「栄養」から、と考えられてきました。
肉体にとっての栄養は、食べ物から取り入れることにかわりはないのですが、私たちは肉体以上の存在ですから、大きな意味での栄養とは肉体のための栄養素にとどまらず、広く精神的・魂的な栄養も必要です。
そして、これからはこの精神的・魂的な栄養が肉体の栄養とともに、より大切になってくることと思います。

精神的栄養とは何でしょうか。
また、魂的栄養とは何でしょうか。

これらは必ずしも「タンパク質」「糖質」などのように物質的にとらえられるものとは限りません。
頭の中で繰り返される習慣的なつぶやき「まったくいつもこうだ、ひどい」「いつまでたってもよくならない」「私はいつもダメだ」「自分はいつも役立たずだ」「あの人は本当にひどい」などなど、あらゆる考えを一時ポーズ(休止)すること、
自然の中に身をおいて風を感じたりにおいをかいだり、音をきいたり花々に触れたり青々とした緑をながめること、時間を忘れてしまうくらい好奇心旺盛に情熱をもってとりくむことをやめないこと、大いに笑うこと、深く大きく丹田で呼吸を意識すること、美しいものをみたり聴いたり触れたりすること、動物と触れ合うこと、感謝や祈りとともにあること、
このような日常のささやかなことの中に、これらの栄養がはいっているのだと感じています。
ぜひそのような感性にオープンマインドであってください。

カナダ人医師の書いた
「身体がノーと言うとき-抑圧した感情の代価-」という本があります。
身体症状は抑圧してきた感情の表現方法の1つだという視点を多くの患者さんへのインタビューからとりあげて書いている本です。

ただ、痛みの真っただ中で「自分のこの不調は抑圧してきた感情の表現だ」と告げられても、あるいはそう考えても、あまり心地よくないこともあるでしょう。
これは、不調は自業自得だとか、自分のこれまでの行き方の罰だ、などという表面的なことではもちろんありません。

けれど、今ここにあるもの全体に目をむけてこそ、そこに意識の光があたり、無意識から意識的になります。
そこではじめて、全体像に近いひろい視点でその現象をとらえることができるようになってくるのです。
身体が少し安心する方向へ向かいだすと、氣持ちも安定に向かいだします。
そこから自分の命の力が本領発揮できるようになっていくのではないでしょうか。

春は新しいことをはじめるのにふさわしい季節でもあります。
これまでの考え方やあり方を変容するのにふさわしい季節かもしれません。
肉体的、精神的、魂的な栄養をバランスよく心がけてよりよく生きることにむかっていきたいと思います。

最後に、お願いを1つ記させていただきます。
現在当院でおこなっている診療全体はクリニックにかかわるもの全体が、1つの場を創りあげているものです。ですから、待合室で付添です、とお待ちいただくだけでも、あるいはなんとなくふらりと立ち寄っていただくだけでも大歓迎です。
そして、このスタイル(考え方や診療哲学)を草の根運動的にひろげていくことを意図しています。皆様のコミュニテイー(たとえば会社やグループなど)でお声をかけていただければ、院長
はじめスタッフがお話やワークの出張に出向くことも可能です。

このような企画に賛同、協力いただける方がいらっしゃいましたら是非お声をかけていただけますようお願いいたします。